今日は、自己紹介として、
お店ではお見せできない私のほんのちょっとを公開しま〜す!
香川生まれの(幸か不幸か)世界育ち。いろいろな機会があって、気が付くと、自分の人生に責任を持ち始めてから半分以上の人生は、日本国外に住んでいました。アメリカ、イギリス、イタリア、インド。タイには、全部の旅経験を合わせると、1年間ぐらい滞在していました。いろいろな国の慣習を経験して、いろいろな国籍の人達に揉まれて、いろいろな国の友人達とのお付き合いを経て今の私があります。最近はすでに長く日本に住んでいるけれど、未だに逆カルチャーショックを受けています。私が感じている事は、こう説明すると理解していただけると思います。
大昔、まだ近代的な交通機関が発達していなかった時代、例えば、
香川に生まれると、香川で育って香川の人だけとお付き合いをして香川で生涯を終える。香川の外の世界は全く知らないのだから、香川の習慣が正しくて、その習慣は、世界のどこでもそうだと思っていて(無意識に)、それしかあり得ない!でも、今の時代なら、自分が生まれた場所から出た事がある方なら、そうでなくてもテレビを見てご存知のように、日本国内でも県が違えば、地域が違えば、習慣やルールが違うのです。そういう事を世界規模で生活の基盤として経験してしまったので、時々何が正しくて何が間違っているのか、何が日本国外の普通で何が日本の普通なのか、わからなくなる時があります。いろいろな経験と”私”という色が、私の中で混じり合っています。”それって正しいとか間違ってるとかじゃなくて、好みの問題じゃないの?”って言いたくなる時や、”そんなに深刻に生きて行くの?”って言いたくなる時や(私は真剣さが好きです。深刻さは病だと思います。)、たぶん世界の中で一番個性を出せないとても画一的な国なので(北朝鮮程じゃない筈ですよね。)、時々息苦しく感じる時もあります。日本に暮らすなら、日本しか知らない方が、ずっと幸せかも思います。でも、私にはこの経験を通して学ぶべき何かがあるのだと思っています。
時々目が点になりながら、本当に必要な規則と人間らしさとしての自由の間を模索しながら前進しています。
私がタイ古式マッサージに出会ったきっかけは、ニューヨーク在住中、個人宅のコックをやっていた時なのだけれど、ご存知のようにコックという職業は立ちっぱなし。本当に足が棒になっていました。その時、以前から私がよく旅していたタイにホリディに行きました。そこで受けたタイ式フットマッサージに心を動かされました。
”Wow~!! もの凄く気持ち良い〜私もこの気持ち良い事を他の人に分かち合いたい〜”
おいしいものを分かち合う人生から気持ちの良い事を分かち合う人生へ〜
私を知っている近しい友人達が、私に形容詞を付けるなら、”躍る〜”や"Dancing~" でしょう。
意味のない空想だけれど、もし、死ぬ瞬間が選べるなら、
私は躍っている時を選びます。頭の中が空っぽ状態でそこに完璧な完全燃焼さがあれば、どんな瞬間でも良いのだけれど、、、それくらい躍る時に経験するあの感覚が大好きです。
お料理は、私の呼吸です。内側が落ち着かない時、
お料理すると地に足が付きます。
私が自分の人生に責任を持ち始めた時以来、私はフィッシュテリアン、時には完全ベジタリアンです。それと、できる限りストレスにならない程度に、無農薬の玄米や全粒粉のような、食べ物の全体を食べようと心がけています。というか、その方が味に深みがあっておいしいです。私は自分が食べている物に誇りを持っています。私が食べている物は、私の体に合っているという事です。というのは、人一倍健康だからです。たま〜に風邪をひいたときは、うれしいくらいです。そういう時は、私自身が休息を取れないでいるから、体がそれを求めてくれているのねと納得しています。病気がちの方や疲れやすい方は、体に必要のない物を取り過ぎていて、必要な物を取り足りていないのではないかと考えてみても良いと思います。世の中にはいろいろな理由でベジタリアンやお肉を食べない人がいますが、私は自分で殺せない動物は食べません。お皿に出て来るお肉の塊がどうやって、どんな痛みやストレスや虐待を通ってこの形になったかという映像を見てから、気持ち悪くて、かわいそうで、食べられなくなりました。今では体がそれらを受け付けません。他においしく気持ちよく食べられる食べ物、たくさんあるのに、と思っています。何を食べているかいつも意識的でいたいです。自分の体に入れるもの、全くどうでも良くないです。例えば、私の横に生きている牛さん、豚さんがいるとして、誰かが私に、”はい、これがあなたの夕食です。自由に殺して食べてください。おいしそうでしう?”、、、、、
私に何ができますか
人とおつき合いをしていて、時々不思議に思うのだけど、死んだ猫やネズミを見るとぎゃーぎゃー言うのに、実はその方、それらと同じ哺乳類の牛さん達を平気で食べてる、、、??単なる疑問として置いておきます。知らないから食べられるのだと思います。でも、私は可能な限り世の中の全ての現実を知りたい。悲惨な現実程、この目で直視したい。感じたい。
誤解して欲しくないのだけれど、
お肉を食べている人と同席できない程、神経症な私ではありません。 人生、みんなそれぞれ。偏見は持ちません。何も強制したくないし、私もされたくないです。
私の最近の定番お弁当を見ると、みんなびっくりします。”
これが、プロでやってた人のお料理?”って思ってるのを感じます。 プロでやってた時の状況の反動でしょうか?もの凄く質素で単純。だけど、とってもおいしい!
大げさじゃなく、野菜切りから計ってまさに正味8分間ワンポットクッキング。食べたい野菜とお豆腐を切って(2分半、ゲーム感覚で計ってみた。)圧力鍋に入れて味付けて(1分)、蒸すの待つ事2分間、その後オリーブオイルで和えて出来上がり!Simple is the best! 私の味覚に完璧な味付け。他の物は忘れても、お弁当を忘れて外出する事はあり得ません。
私のキッチンにはどんなインスタント物もありません。全てを1から作る事に楽しさと気持ち良さを感じます。人生のある時期に菓子パン(教育方針のためなのか、子供時代の家庭内禁止食品だったので、ある時期にその反動が来た。)食べ過ぎプラスストレスで免疫が落ちて、食物アレルギーを発症して、薬を取らずに自分で食べ物日記を付けて、原因を追及して克服した経験があります。食物アレルギーの原因がわからず、その症状を押さえるための薬なんて、自殺行為ですよ。また、日本以外に住んでいた時に、日本のラーメンやカレーや餃子を作りたくなった時、勿論全てベジタリアンですが、ラーメンをダシから作ったり、カレールーを小麦粉から作ったり、餃子を皮から作ったりするのに楽しさを感じていました。だから、こういうこだわりがあるのです。インドに住んでいたときは、お豆腐も大豆から作っていました。工場生産ではない科学的な添加物が入っていない食べ物を作る事は、楽しくて気持ちが良いです。工場生産ものが毎日主食になってしまうと、悲しくなります。でも、私は禅僧ではないので、時々市販のお菓子も食べるし外食も楽しみます。自分を戒めるためのルールというのは私にはありません。食べたい物は何でも食べています。何でも抑圧する事は心身に害があると思います。みんなそれぞれ違うと思いますが、何事もバランスが必要ですね。ただ、自分の体と気持ち良くいたいなら、自分の体に対する敏感さと、ある程度の食べ物や体内に入れる物に関する知識を持つ方が助けになると思います。
ベジタリアンの大切なタンパク源はお豆です。世界には、
650属、18,000種類ものお豆があるそうですが(日本では10種類ぐらいかな?)、私が大好きなお豆はヒヨコ豆です。日本では健康食品店や輸入食品店にしか売られていないようですが、そのヒヨコ豆から作るイスラエルの国民食、”フムス”というディップは作るのはとても簡単で、味は最高!生のニンニクが苦手な方にはお勧めできませんが、、、ギリシャやトルコなどの広い範囲の中東でよく食べられています。材料は、ヒヨコ豆、生のニンニク、レモン汁、練り胡麻、オリーブオイル、塩です。私はこれにクミンパウダーをひとつまみ入れるのが好きです。
私の食品棚からヒヨコ豆と練り胡麻のストックがなくなると、不安になってしまう私です。
フムス 見た目は平凡だけど、味は最高。
お料理が好きなら、野菜栽培をすればいいのにって、
友人からよく言われます。今までに何度か土の中に野菜の種を蒔いたけれど、これだけは成功した事がないのです。私と土は相性が悪い、、、
でも、水栽培は得意です!今でも、
家で毎週スプラウツを育てています。3日で出来上がりなのですよ。家に帰るたびに、お豆からグングンニョキニョキ芽が伸びてて、過程を見るのが楽しいです。3日後には私のでっかいサラダの中にどっさり。とってもおいしいです!噛み締める度に、シャキシャキとにじみ出る大地の味に、体中が喜んでます。Yummy~~!!
私が自分の人生に責任を持ち始めてから、
一度も買った事がない物:テレビ→私の人生の方がおもしろいかも。
炊飯器→炊飯器を売っていない国に住んでいたのと、圧力鍋で玄米を炊く方がおいしいからです。白米は普通のお鍋で炊いていました。
電子レンジ→食べ物の栄養分が壊れてしまうという直感があって嫌いです。温めるときはお鍋で蒸します。というちょっと原始人的な私です。
次に、私の嫌いな事を挙げてこのブログのバランスを取ります。
私の嫌いな事:1、形式的で意味のない事(昔からのしきたりを含めて)
2、効率が悪いと理解しながら、効率の悪い事をしなければいけない状況に置かれる事
3、”当り障りのないようにしておけば良い”という言葉
4、年上、年下、又は肩書きの違いで、
それぞれ個人の意見が言えないという空気の中に居る事。→私には年上、年下の概念はありません。両者共、同じように尊重したいです。それぞれの人間が自分の意見を発する事は、自分の存在に責任を持っているという事ではないですか?多くの日本人は、発言する事、表現する事が苦手です。それは、子供時代から教育されていないので当然です。教育者自身が、表現できない、、、 Oy yoy yoy! もっと表現できた方が(But 怒りを人にぶつける事なく、嫌みになる事なく)、お互いの距離が狭まって、より理解し合えて良い関係になります。健康的な関係だと思います。我慢、抑圧すれば、必ずいつかどこかで爆発します。それは、病気になる事かも知れません。人を傷つける事かも知れません。その全てを投げ出す事かも知れません。体とマインドとハートは、一つの体の中にあって関係し合っています。
人生、山あり、谷あり、障害物あり。
でも、どんな障害物も見方によっては自分を見つめる良い機会です。
意識的にならないと、
過去に人が自分に接したやり方でしか人と接する事ができない、、、もしかして、それが唯一正しいと思っている??人にやられた事を他の人にやり返す事は、終わりのない戦争の始まりです。幼稚です。意識的に人に接して、相手がどう感じているか感じながら、お互いに気付いていきたいですね。無意識に過去の録音テープを再生しているだけだと、相手がどう感じているか、感じる事すらできない。柔らかくリラックスして開いている人の近くでは、近くにいる人もリラックスできます。お互いの相乗効果でそこの空気はスムーズ。全てはよりうまく回ります。意識的になる事ができれば、それはどんな時でも可能です。緊張を作ったり、呼吸できるスペースがないと、何をやっても良い風には回らないです。固い重い鎧(過去に傷付けられたときの自然自己防御なのですが)で身を固めて人を傷付ける事は、自分をも傷付けているのです。自分を愛せる事は人生の基本だと思います。一番近くにいる自分の愛し方も知らないなら、誰を愛せますか、、、?また、鎧を落として自然体で居る方が、近づきやすく、愛しやすいです。
最後に私のモットー、、、
過去は終わっているし、未来はまだ来ていない。やって来るのはいつも今。この瞬間を大切に。いろいろな意味で、
I'll dance until I am gone!!
それから、世界中にもの凄くたくさんの人が存在している中、出会いがあるのはその中のほんの一息。その出会いには、お互いに必ず意味があると信頼しています。みんな、出会いをありがとう。
最後までおつき合いいただき、ありがとうございます。Ms Because(この理由は後ほど)が何かを書き始めると終わる所を知らない、、、
次回は短い単品メニューの予定です、、、
今度は、ダンスパーティに行きましょうよ!
ドイツの友人が企画したボディペインティングダンスパーティ えっ、誰これ!?
こんな人お店にいないですよっ
よろしくお願いしま〜す!(^o^)/
English speaking customers very welcome!
On Children of the World
We have to heal our wounded world. The chaos, despair, and senseless destruction we see today are a result of the alienation that people feel from each other and their environment. Often this alienation has its roots in an emotionally deprived childhood. Children have had their childhood stolen from them. A child's mind needs the nourishment of mystery, magic, wonder, and excitement. I want my work to help people rediscover the child that's hiding in them.
"Dancing the Dream" by MJ